コーチングや人材育成をして良かったのは、「人間とは何か」を知識と手触りと自分自身で学べたこと。他人をコントロールしようということではなく、可能性を引き出すことができる。現場に戻って、実感している。
そこで、なぜ人間とは何か、を理解し体感していると良いかを考えてみる。 組織やスクラムやワークショップで大事なのは、「チームへの共通的な問い」だ。そのチームに相応しい問いを投げかけられれば、チームにも個人にも大きなインパクトを与えることができる。
一方で、個人によっても相応しい問いが違う。組織やチームに問いを投げかけても、人によって響く人と響かない人がいることは多いのではないだろうか。僕が前にVPoEやスクラムマスターをやっていたときに悩んだのはこの点だった。
だから、1on1などを使って、個人ごとに個別の問いをともにつくる。問いは表面的にはチームや技術のことかもしれないが、その背景に「人間とは何か」がベースにあった上で相応しいものを探索する。時には仕事内容ではなく人間そのものの問いになることもある。
スクラムマスターやワークショップ実施者は、「チームとは何か」という原則を理解してやっているはずだ。それと同じことである。人間個人に対してアプローチする場合に「人間とは何か」の原則を理解するのは同様に当たり前だと言える。
どういうことかというと、個人への問いは問いは「その人の人生や全人格」を通して創られる必要があり、問う側は全てを受け止める必要があるということだ。「組織のため」だけだと深い問いと答えにならないから。だからこそ「人間とは何か」が必要であり、問う側にも深い思考と覚悟が求められる。
結果、個人としての問いに答えていくと、その変化がチームにも波及し、チームの問いの答えがより良くなったり、チームへの問いも変化していく。その結果、個人の問いにも波及する。その行ったり来たりがチーム全体の変化を生む。
個人への問いを創る上で本質的な課題だと思うのは、投げかけた問いが全部自分に返ってくることだ。相手にした問いは、自分も答えていないと、相手に深い洞察を与えることはできない。自分が体現できるよう努力する必要がある。だからコーチはとても大変な仕事なのだ。
スクラムマスターやアジャイルコーチが陥りがちな落とし穴はそこにあると思う。チームに投げかけた問いは、自分がチームという実態ではないから、自分で答えにくいのだ。自分が体現していなかったり答えられない問いをチームに投げても、確実にバレる。かつて私もそれを認識せずに迷惑をかけたことがある。申し訳ない。
私がSCRUM MASTER THE BOOKで感銘を受けた部分は「スクラムマスターのグループ」だ。機能的に必要、という読み方もできるが、「自分たちがスクラムを体現できているのか?」という問いを投げかけていると思った。とても本質的な問いだと思う。他人を否定し押し付けるだけではダメだ。
そう考えると、コーチもマネージャーも大変な仕事だなあと思う。自分自身まだまだ体現できていないので、努力していこうと思う。