思考と現場の間で

「いいサービスづくり」のために、組織づくりやソフトウェア設計など、考えていることを書きます

多くの人がコントロールされたいのではないか?という仮説

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最近実感するのが、「多くの人がコントロールされたいのではないか」ということです。動物の中で主体性があるのが人間の特徴では有りますが、世の中がシステム化されすぎたせいなのか、どうも主体性の剥奪が起こっているような気がしています。

教育も「決められたことをやる」ことにフォーカス

与えられたことを理解する、覚えるということをやり続けており、その枠組みの中で評価されるという仕組みで我々は育ってきました。その枠組みから外れる人は評価されにくいですし、「外れてはいけないんだ」という思い込みがどこかにあるように思います。自分自身にも思い当たるフシがあります。

自分が「何をしたいか」がわからない

同時に、話を聴いてみると「自分が何をしたいかわからない」という人が多くいます。何をしたいのか、というのも、人生の目標から現状の作業としてどうしたいか、どうすべきかというところまで色々有りますが、日々の仕事の多くは答えが無いことが多く、どの選択をするかはその人のポリシーが出ます。「ポリシー」が無いと、誰かに決めて下さいということが多くなり、コントロールされることが多くなります。

答えが無い問に対する姿勢

今我々が対峙している課題は、ほとんど答えがありません。答えがない問に立ち向かうためには、自分で考え、自分で決め、自分で動くしかありません。動いた結果からやり方を変えながらカイゼンしていく必要があります。そして、多くの人は答えの無い問いに対して、答えを求めます。

そういう意味で、私は「コントロールされたい」のではなく、「答えが無い問いへの対処法」がわからないのではないか、と思うようになりました。我々は対処できるような教育をされていません。どこかに答えがある前提で考える癖がついています。ただそうであっても、対処できるに変わっていかなければなりません。いつも私自身も同様に変わり続けなければならないと感じます。

クリエイティブにしていく

答えがない問に対処するには、全員がクリエイティブでなければなりません。なぜなら誰か一人がコントールして答えを見つけるより、一人ひとりが考えたほうが効率的ですしスピードが上がります。そのためには、チームで一人ひとりが深く考え行動する必要があります。答えを与えるのではなく、問いを与える。失敗を許容し、改善できる環境を整える。できるだけ自由な裁量を与える。組織が、チームが、個人が成長する。そういう環境を創って行かねば、と思っています。