思考と現場の間で

「いいサービスづくり」のために、組織づくりやソフトウェア設計など、考えていることを書きます

成人発達理論のコースが終了した

成人発達理論のセッションが終了した。動画コンテンツを見て、課題をやり、セッションに参加するという流れを6回やった。2ヶ月間で濃密な時間だった。思ったことは、発達心理学の奥の深さと広さだ。わからないこと、知らないことだらけであるということがよくわかった。それだけでも充分な収穫である。

多く学んだことがあるなかで、一番印象に残っている問いは、人は発達(成長)すべきなのか?という問いである。できないことができるようになる、見えないことが見えるようになる、ということは一見良いことのように思うが、その結果、幸福という視点では「余計なこと」が見えたりできてしまい、ある意味不幸*1になることもあるということだ。

我々が生きているこの社会は、マトリックスの世界と同じである。意識的にも無意識的にも、何かしらのストラクチャーの中で生かされている。例えば、会社であったり資本主義であったり自分の固定されたメンタルモデルであったり。

発達というのはそのマトリックスの世界の外に出ることであり、そこで起こることというのはマトリックス世界の中にいる自分では見えないのだ。もしかすると危険かもしれないし、その危険さも上手くやると何か得られるものがあるかもしれない。得られた結果人生が変わってしまうかもしれない。

そういうことを考慮して対人支援を行う必要があるし、自分の発達とも付き合う必要がある。そう考えると、自分の人生をどう生きていくか、の選択肢を少しだけフラットに見つめられる気がしている。そういう見え方ができ始めたことが、今回の学んだことだ。

動画ファイルが大量にあるので、まだ見切れていない。再度見ながら、感じたことをここに書いていこうと思う。すぐ忘れてしまうので、少なくとも言葉にしないと学びが定着しないし深まらない。発達は言語が大きな影響を受けているとのことなので、発達をより深めていくためにも。

*1:もはや、幸福とか不幸ってなんなんだという話もあるが