ニーチェのツァラトゥストラにある人間の発達段階のような話を、偶然にもここ2週間くらいでいくつも目にした。人間の精神は、「駱駝(らくだ)」、「獅子」、「幼児」の順に発展するという話だ。
- 駱駝:規範に従って忍耐強く重荷を背負って砂漠を歩く
- 獅子:義務を否定し自由を獲得しようと求め、獅子となり龍(汝なすべし)と戦う。合言葉は龍から禁じられている「われ欲す」
- 幼児:自由を手に入れた獅子は、全てを「然り」と受け入れ、創造という「遊び」を獲得し、幼児となる
このような話である。駱駝は、私が体験してきた日本社会の価値観でいくと、真っ当なことにも思える。ただ、ニーチェによると発展の第一歩であるということになる。その後、自分の意志を示し、現状の自分を受け入れ遊び始める。
日本の一般論としては段階としては逆(幼児→駱駝)のようにも思えるが、むしろ幼児かのようにありのままでいるほうが難しい。駱駝は自己を捨て奉仕しているようにも見えるが、規範(ここでいう龍)に依存しているとも言える。こう考えると、この段階は私の実感とも合ってくる。
そう考えると、未熟とはなんだろうか?成人発達理論も含めて、もう少し考えてみたい。