思考と現場の間で

「いいサービスづくり」のために、組織づくりやソフトウェア設計など、考えていることを書きます

人が力を発揮するためのストラクチャーとジレンマ

エンジニア部門全体をマネジメントする役割をやらせていただいている会社で、徐々に組織が動いてきていることを感じている。何をどうして何がどうなってるのかという詳細への言及は避けるが、表層的には、メンバーが新たなことへのチャレンジを始め、活性化してきている。

もちろん、私だけの成果ではない。様々な経験を通して、一緒にやっているマネジメント、経営層と一緒に学びながら深化していっている感じだ。頼もしいし嬉しいし、着実に一歩一歩やっていけば前に進むことを実感している。

同時にもう一つ強く実感したのは、人が力を発揮するためには、環境に大きく依存するということである。それがどういうことかを2つの視点で考えてみる。

発達範囲による環境依存性

カートフィッシャーのダイナミックスキル理論にある発達範囲というのは明確に環境依存性を示している

  • 最適レベル
    • 他者や環境からのサポートに寄って発揮することができる、自分が持っている最も行動な能力レベル
  • 機能レベル
    • 他者や環境からの支援なしに発揮することができる、自分が持っている最も高度な能力レベル
  • 発達範囲
    • 最適レベルと機能レベルのギャップ。年齢が行けば行くほどこのギャップは拡大していくことを表している。

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組織の様々なストラクチャーによる環境依存性

昨日書いた、今読んでいる「自意識と創り出す思考」という本の中で、こんな記述があった。

例を挙げよう。会社であまり成果が出ていない人がいるとすると、周囲が手を尽くしてその人の成績を上げようとするがうまくいかず、やがて別の人と交代するはめになる。ところが新しく交代した人は前任者と全く同じパターンをたどり、全く同じ状態に陥る。どうだろうか。こうした事例は、零細企業から巨大な多国籍企業に至るまで、幅広く共通して見られるものだ。物事の成否が、いかに個人によってではなく、構造によって決まっているものなのか...(略)

特に大企業にいる人では、同じような場面を見たことがある人も多いのではないだろうか。成功しないような構造になっている故起こっている状態である。成功するためには、おそらくその構造を変えるという手立てをする必要があるが、そこには大きな壁があることが多い。だから構造を変えることは誰もできないし、誰がやっても成果が出ない。

 

この2つはあくまで例だ。とはいえ、実感に近い事例でもある。組織を動かすというのはある意味この環境依存性がある人や組織を、より良い環境に変えていくことではないだろうか。

3つのストラクチャーを扱う

では、環境を変えていくにはどうすればよいのだろうか。私はコンテンツ(内容)ではなくストラクチャー(構造)を扱うのが非常に大事だと思っている。そこで、扱うべきストラクチャーを3つに整理してみる。

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コト(組織、事業、プロダクト、エンジニアリングなど)のストラクチャー : 全体を俯瞰して変えること

目の前の細かい作業にフォーカスしていると、全体にフォーカスがしにくい。あまりに集中していると、目の前の作業がなんのためにやっているのかを忘れることがある。よくよく考えてみると、やらなくて良かった、やりすぎだった、ようなことは誰にも経験があるのではないだろうか。

大谷翔平ががAIエンジニアの部門で機械学習のモデルを作る仕事をしても活躍できないのは誰もが当たり前だと思うが、現実では似たようなことが起こっている。さらに悲劇なのは、活躍できない理由をここで言う大谷翔平の責任にしてしまうこともよく見かける。

この大谷翔平が活躍するためには、コトを野球に変えるか、野球をやっている部門に異動させなければならない。前者の場合は、コトもルールも変える必要がある。

問い : そこにいる人が活躍するかつ事業的成果を出すを両立するために、全体を俯瞰してコトとルールを変えているか?

課題のストラクチャー : ダブルループ以上の学習ループを回せること

ダブルループ学習とは、課題を解決するのではなく、前提を変えることである。課題の前提を変えるとは、例えば課題だと思っていたものを「何もせずに課題では無くす」こと、または「何もせずに別の課題に転換する」ことだ。

普通は目の前の課題を手を動かしてそのまま解決・改善していくこと、つまりシングルループ学習が主である。これも重要なのだが、ある一定のところまでいくと、なかなか改善されない領域にいってしまう。

そこで大事なのはダブルループ以上の学習だ。発展的に前提を変える。例えば、目的、目標、ルールのようなものだ。そうすると、何もしていないのに目の前の課題が課題では無くなっていく。別の課題が表層化してくる。全体が次の段階に行く。

問い : そこにいる人が活躍するかつ事業的成果を出すを両立するために、課題解決に翻弄されず、前提(目的、目標、ルールなど)を変えることで、課題を根本的に転換できているか?

メンタルモデルのストラクチャー : 個人が現在見えてない視点の未来を作り出せること

【可能性の波】 人間のパフォーマンスというものが、「たぶんそうなるだろう」と想定される可能性の範囲の中で発揮されるものである ケン・ウィルバー

人は自分が見えるものしか見ていない。当たり前だが盲点である。

宇宙に行ったことがない人が、宇宙に行ったときの景色を見ることができないのは誰でも当たり前だと思うのではないだろうか。にもかかわらず、自分ができることが相手にできない、自分が明らかに答えがわかっているときに相手が理解できない、ようなときに困惑したことはないだろうか。

よくよく考えれば当たり前なのである。相手は自分ではない。同じ経験をしているわけはない。同じものを見ているわけではない。

だからこそ、今見えていないことが、ゆくゆく見えるようになる、できるようになると喜びがある。成長実感という。成長すると嬉しいのはこういうところからくるものだ。

でも、見えていないものを見えるようにするのは、一人でやるのはかなり難しい、これが発達範囲の話である。もし他の人が見えているのであれば、ちゃんと言語化して教え、機会を与え、できるという実感を得てもらう。自分自身も、見えないものに挑戦することを厭わず、時に失敗しても気にせず、一歩踏み出す必要がある。そうすることで可能性が広がり、生み出されることは多くある。

問い : そこにいる人が活躍するかつ事業的成果を出すを両立するために、その人が今見えていないことを伝え、機会を作る努力をしているか。自分自身が見えていないことに一歩踏み出しチャレンジをしているか

(突然の)マネージャーは要るのか問題

この3つのポイントを実践するのは意外に難しい。目の前のことに集中すると、思考の種類が違うので、スイッチングコストがかかる。集中しているときは、できれば考えたくないような部類のものだ。だからこそ組織で一人ひとりが力を発揮し、かつ成果を出せる環境を作るのは難しい。

こういうことを考えると、いつも思い浮かぶのは、マネージャーが要るのか問題だ。私はフラットな組織、つまりマネージャーがいないような組織が理想だとかつては思っていた。いまもある意味理想としては思っているものの、いくつかの10人〜20人くらいの会社での失敗体験があり、無邪気にフラットにするのは止めたほうがいいと考えを改めた派である。

僕は上記3点が「全員できないこと」が、事業をやることが使命である会社という組織で、マネージャーがいないフラットな組織を機能させる最も大きい難しさだと思う。スイッチングコストも能力も必要で、残念ながら全員できるようになるのは難易度が高い。役割を分けてやったほうが合理的ということになる。それが現代のようなピラミッド型の組織の所以である。

とはいえ、0-1の話ではない。全員できないからといってすべてトップダウンにする必要もない。やりようはある。少なくとも理想として持ち続けたいなと思うのは、組織づくりを担当する以上、全員が上記3点をできるようにすることが、永遠のゴールだと思って仕事をするべきだと思ってやっている。