思考と現場の間で

「いいサービスづくり」のために、組織づくりやソフトウェア設計など、考えていることを書きます

組織において、悪とは何か?

人を見るというのは難しい。どういう人を採用するか、どういう役割にするか、動機づけするかで、組織のパフォーマンスはまるで変わる。

最近思うのは、組織において悪を見つけ出すことの難しさだ。自分を悪だと思っている人はほぼいないからだ。一方で、成果が出ていたとしても、倫理的にそぐわない行動によって、そこにいる人によって組織が壊れることがある。人が病むことがある。

厄介なのは、おかしいと表層化してくるのが、壊れた後になりがちだということだ。人間の行いというのは、基本的に全て善のように見える。善のように振る舞う。例えば、意見の相違があったとしても、ただの相違であり、それは悪と認識されることは無い。成果も出続けていることもある。悪は善の仮面を被っている。

では、相違と悪の違いは何か。

「利己的な目的のために、手段を選ばないこと」ではないだろうか。

サイコパスという人間の特徴はまさにそうで、利己的な欲望や目的のために、究極的には殺人まで犯してしまう。そこまでいかなくとも、人は誰しもが利己的に行動してしまうものだ。利己的に行動してしまうことが必ずしも悪いわけでもない。問題は、利己的で手段を選ばないことだ。倫理観が欠如し、倫理的な尺度で言うと誤った手段を用いてしまう。

さらに厄介なのは、利己的であることも手段を選ばないことも見えにくい。よりわかりにくく戦略的にやる人もいる。さらにさらに厄介なのは、自分が利己的である、もしくは手段を選ばず倫理的に外れているということを自己認識しせずに行動してしまうことがある。

つまり、誰もがそういう状況になりえるということである。私自身もふりかえるとやってしまった反省がある。だからこそ自己認識に努め、倫理観を育み、常に自分の判断や行動を疑い続ける必要がある。組織を見る立場であれば、自分自身と同時に、組織の人たちの外面だけでなく内面にある本質を捉えて動かしていかなければならない。

悪は常に目の前にあるのだ。それをどう扱うかが問われ続ける。