思考と現場の間で

「いいサービスづくり」のために、組織づくりやソフトウェア設計など、考えていることを書きます

内向と外向の段階

数年ぶりに開発の現場に入り、色々な人と話していてわかったことは、心の葛藤を抱えている人の多さだ。会社で仕事をするということは(あるいは生きるということは)、様々なジレンマとの対峙が避けられない。ある意味葛藤が当たり前でもある。本人にとって厄介なのは、その葛藤がアウトプットに影響してしまうことだ。本人もしんどい。

心の葛藤を抱えた場合の状態はいくつかに分けられる。

  • 自分の葛藤に気づいていない、気づいている
  • 葛藤を自己認識しても、素直に言えない、言える。
  • 自己認識した葛藤を、整理できない、整理できる
  • 自己認識した葛藤を、解消への行動に移せない、移せる

これらの課題は、外面的な課題(組織や環境)の場合も多いが、多くは内面的な課題であることが多い。人は同じ出来事でも解釈や視点を変える。同じ出来事でも、ある人はポジティブにとり、ある人はネガティブに取る。どんなメガネをかけて物事を見るかに影響を受ける

どのメガネをかけて解釈するかということは、外面の問題ではなく内面の問題だ。自分で無意識に選んでしまうメガネにはどんな背景があるのか。それをどうしたいのか。そこを探求しない限り解決しない。

この本では、外向の段階と内向の段階と表現していた。

P.144
人間の発達プロセスは、2つの大きな段階に分けることができるだろう。

まずは、一人の社会的存在として、自我を確立する前半期である。この段階における発達上の課題は、自らの生きる社会や時代の中で共有されている価値観や世界観を習得(内面化)し、それらを素材として独自の生き方を確立していくことである。

ウィルバーはこの段階を「外向の段階」と形容しているが、それは、その主題が時代や社会という外的な文脈の中で自己を確立することにあるからである。

P.144
発達のプロセスがさらに進展していくと、人間の関心は自らが生きる自ぢや社会に適応していくことだけでなく、そこで社会的存在として、自我を維持しながら、生きている本質的な主体である自己そのものを深く理解し、そしてその可能性を開花させていくことに移行していくことになる。
(中略)
実存心理学者のロロ・メイは、こうした転換とは、「自己の存在そのものが解決されるべき問題として意識されるようになる」ということだという意の言葉を遺している。

とてもわかりやすい見解だ。まず人間は外向の段階から始まっていくが、ここで書かれている「自己の存在そのものが解決されるべき問題として意識されるようになる」ような内向段階に移るのは簡単ではないように感じる。心の葛藤を抱えているが、それを外向の問題として認識し、環境やアウトプットを変えようとしてしまう。本来は内向の問題なので、いつまで経っても解決しない。こういうことが起こっているのではないだろうか。

外向から内向への問題に移行することこそが成長とも言える。だからこそ、内面の問題や成長に向き合うことが、問題解決に向かう大切な要素のひとつではなだろうか。