思考と現場の間で

「いいサービスづくり」のために、組織づくりやソフトウェア設計など、考えていることを書きます

人間の発達をシンプルなモデルで見る危険性

これまでの人生において、成長したいと思って生きてきたものの、成長という定義を曖昧に捉えて生きてきた感覚がある。ありがたいことにこの数年で、垂直的成長、水平的成長という概念と発達理論に出会うことができ、私の中で成長のバリエーションが大きく広がってきている。

特に、垂直的成長においては、なんとなく大事そうだなと思いながらも、自分自身のこととして取り扱えておらず、若いときからなぜ失敗したんだろうか、ということが自分で捉えられていなかったものが、その理由を捉えられ、少しずつ改善してこれている感覚がある。

この体験を通して、同じような課題に直面し、自己認識できていない方々を見ることも多く、楽になってほしいなと思うからこそ、コーチングのような関わりを続けているというのが今の私の現状だと思う。

一方で、例えば、ロバート・キーガンの発達段階というのは、垂直的成長のモデルで非常にシンプルだ。自分はこの段階じゃないか、あの人はあの段階じゃないか、というのをなんとなく想像しやすい。そして、そんな曖昧な評価、シンプルなモデルを通して自分や他人を評価し、結果的にそれが人間の成長の全てだ、というような感覚で捉えてしまうこともある。

当然、人間なんてそんな単純なものではない。キーガンの発達段階は人間の一面を捉えているだけだ。キーガン以外の発達段階も多くある。そして、5段階のような非常に抽象的な段階で人間を捉えられるわけがない。

レクティカという団体がとても科学的に人間の発達段階の測定をやっているそうだ。数十年も天才たちがアップデートしており、数学的(AIも使っている)に非常に複雑な分析をした上で、測定結果を共有してくれるとのことだ。

それでも、一面しか表現できておらず、正確性も厳密には証明できない、と言われている。人間というのはそれだけ複雑で豊かであるということだ。つまり、たとえシンプルな発達段階を取り扱うとしても、何のために使うのか、表現するのか。その特性や表している人間の発達部分は何か、というのを捉えて扱わないと、思いもかけない影響を与えてしまう。気をつけて発達段階のモデルに触れていく必要がある。