思考と現場の間で

「いいサービスづくり」のために、組織づくりやソフトウェア設計など、考えていることを書きます

組織と個人へのアプローチの違い

ここ数年組織から個人にアプローチを変えてみている。組織やチームの変革ではなく、個人の成長や学びがテーマだ。
 
そして、多くの人から感じるのが、個人をテーマにすることへの嫌悪感である。
 
確かに、個人の学びや成長をテーマにすると、「個人をコントロールする」ことのような感じがして、私自身もなんとなく抵抗を感じることがある。できれば私自身も他人から強制されるのではなく、自分で変化していきたいからだ。どんな示唆的な投げかけでも、コントロールのように受け取ることもできる。
 
一方で、「組織を良くしたい」とか「チームを変革したい」というような話はどこからでも普通に聴こえてくる言葉だ。これもよく分かる。組織がボトルネックになって上手く行かないことも多いし、色々課題を深ぼっていくと、チームの課題にたどり着くことは多い。
 
ただ、私自身これにも違和感がある。組織やチームの構成する要素は個人だからだ。私個人的な体験だが、チームや組織という言葉を使い、ワークショップなどを用いて結果的に個人への変化を強いているようにも見える。
 
最終的には同じことなのではないか?
 
私は、個人へのアプローチも組織へのアプローチも否定しているわけではない。両方同じではないか?と言っているだけだ。自分が変わることにより相手が変わることが悪いことではない。それは他人との「かかわり」にすぎない。組織にかかわるか、個人にかかわるか。その結果、お互い影響し合うことでより良くなるかそうでないか、それだけである。
 
私は以前、その「かかわり」方が組織やチーム中心だった。でもどこか一つのピースが足りてない、という感覚がずっとあった。だから、今は個人へのアプローチを学び実践しているのだが、そのピースがはまった感じがしている。
 
誰もが自分自身の学びを追求するということは、人間という存在の根源を見つめる旅であり、それこそが自分で考え決定し、自分の足で歩んでいくチームを作るためのベースになっていくものだと確信している。
 
それは強制するものではない。自分で見つけ自分で決めることを促すだけだ。これはアジャイルスクラムの考え方とも合致している。そこには示唆があり、学びがあり、変化する余白が含まれている。
 
このエントリーを拝見してそんなことを思った。私がこの数年学んできた要素の多くが盛り込まれている。Agile Leadership、今後注目していく。