これ、あるあるのいい話だった。
これはよくある。全体最適と個別最適の問題なんだけど、本当に目の前にこぼれているタスクを自分がやるべきかというのは、意外にも簡単な問題じゃない。
ここに書かれている通り、拾っている人は疲弊するし、それ以外の人ができるようにならない。それ以外の人ができるようにならないと、その作業自体の課題やカイゼンを他人の目で見られず、その作業が永遠と続けられることになる。
そこで、他の人が率先して当事者意識を持ってやるべきだ、という話になるけども、それはただの精神論であって、それが何のために何につながるか、ゴールがないとその人だってやる気にならない。だって、今まで拾ってた人がやれば早いんだから。ただ他の人がやれるようにするのか、カイゼンするのか、その作業自体を無くせるようにするのか。
個人的には、いろいろな人を疲弊させるという意味で、これを「リーダーシップの無駄遣い」と呼んでいる。なんでも個人のリーダーシップのせいにすな。
これは、全体視点と個別視点を行ったり来たりする必要がある。いまこの作業をやるべきなのか、誰がやるべきなのか、どうやるべきなのか。基本的に作業というのは無くせるならなくしたほうが良い。効率を高めたほうが良い。
であれば、必ずやり方を変える必要があるのだ。そうなると、どうしても全体最適視点でその作業を見る必要がある。大きな組織であれば管理職がそれをやるという話はあるが、理想的には全員それができたほうが効率的だ。
できるだけリーダーシップの無駄遣いをせずに、鳥の目と虫の目を行ったり来たりして、効率的に進めたいものだ。