思考と現場の間で

「いいサービスづくり」のために、組織づくりやソフトウェア設計など、考えていることを書きます

自己組織化と意思と秩序

20代で大きな会社や幾つかの組織に所属してみて、組織というシステムに色々疑問を思った。人はシステムや枠組みに行動はもちろん思考まで影響され、それが個人の幸福をそいでしまったり、組織や会社として本質的な成果に向かえなくなるのではないかという経験的仮説を持った。そこで、一人ひとりがある意味正しいと思うことを複合的に合わせていくような、自己組織的なシステムのほうがよりあるべき方向に行くのではないかと感じ、スクラムなどを勉強して実践してみるに至った。

色々成功や失敗を経験してきて思ったのは、どんなシステムであれ、何かを作り出すにはどこかに意思が必要だということだ。でないとやっていることの理由が説明できないし何も生まれない。会社というのは自然発生的にできるものではない。強いリーダーシップの社長がいれば、それが大きな意思であり、それを実現するためにトップダウン的なシステムになる。秩序は社長が中心となって作られることになる。一人ひとりに意思があるのであれば、もう少しフラットなシステムになり、変化も柔軟になる。

会社や組織には目的があって、(生活のためとは言え)ある程度それに賛同して集まってきていて、その意思の総量が会社の意思となる。総量が大きければ大きいほどその目的に向かう力は大きくなる。

ただ、意思の総量が大きいからと言って、目的が達成できるかどうかとは別だ。マネジメント、仕組み、市場環境などいろいろな要因が必要になる。つまり、リーダーシップの強さとシステムの優劣は関連性は無い。いくら社長の意思が強く、トップダウンの組織にしたからといって、末端の社員が現場で見ている課題が時には社長の思いより重要なことがある。一人ひとりの意思が強く、フラットな組織であっても、全体性や全体最適が重要なこともある。

となると、強い意思があるとして、ある目的を達成するためにある組織は、ある一定のシステムや秩序が必要だと言うことになる。数人のチームではそこまででは無いが、数百人、数千人になったとしたら、より必要になる可能性は高い。そこでどういう秩序を選択するかだが、私は変化が大きく扱う課題が複雑化している以上、特定の誰かの強いリーダーシップだけでは、その変化に追随できず、秩序自体が崩壊してしまうと考えている。やっている人や会社や目的にもよるが、ある程度自己組織的な要素がシステムに無いと、組織がすぐに老化してしまう。

10plus1.jp

ということで、この記事を読んだ。その秩序は自己組織的に作ることができるのか。自己組織化は設計できるのか。自己組織的に組織が動くとなると、一人ひとりの意思が大切になる。ただ、人はみな違う。目標も目的も価値観も違う。なので、ある程度自己組織化を設計せねば適切な変化が生まれない。この7年ほどいろいろやってみた経験から、それはできると思っているのだが、この記事は10年ほどのものにも関わらず、その一つの考え方を示してくれていた。

これができれば、一人ひとりが自分の意思でもう少し生き生きと働き、組織としても(ときには目的すらも)常に変化をしながら目的を達成できるようになるのではないかと思う。