思考と現場の間で

「いいサービスづくり」のために、組織づくりやソフトウェア設計など、考えていることを書きます

「主体性を出せ」と要求する矛盾

「主体性」が大切だというのは誰でも同意すると思います。全員が主体的にリーダーシップを発揮すれば、相乗効果となり大きな効果を発揮するのは想像できるでしょう。と良いつつ、組織的に主体性を育むマネジメントを行っているかというのは別の話しです。
最近、入門「組織開発」という本を読みました。そこにX理論とY理論というマネジメント観について紹介されていました。

組織開発の有名な研究者である、ダグラス・マクレガーは、マネージャーには自らの経験からマネジメント観を形成すると考え、マネージャーがもつマネジメント観を二つに大別し、X理論とY理論と名づけました。
「X理論」をもつマネージャーは、人は生まれつき仕事が嫌い、したがって人には命令と監督が必要で、目標に達しない場合は、罰則を与えることが必要だと考えます。一方、「Y理論」をもつマネージャーは、人は自ら実現したい目標のためには自己統制を発揮し、個人と企業の目標が一致すれば、人は自発的に自分の脳力を高め、創意工夫をし、自発的に行動すると考えます。

  • 入門組織開発より

簡単に言うと「X理論」は命令形のマネージャー、Y理論は自発性を重視するマネージャーです。自発性を重視したマネジメントの手法は多
くありますが、それらを使う使わないに関わらず、まずはマネージャーやチームを束ねるリーダーのマネジメント観の違いが根本に出ます。いくら「X理論」のマネージャーが自発性を促す手法を使おうとしても理解ができずうまくいかないことが多いのでは無いでしょうか。

相反する2つのマネジメント観

あえて「相反する」と表現していますが、それくらいこの2つのマネジメント観は根本的に違います。話が噛み合わないレベルです。この相反するマネジメント観を同時に持つことはとても難しい。組織のコンセプトをどうするか、その上でどちらの人をマネージャーという役割にする、ということの方が理想的にも思えてきます。

言われて出す「主体性」は「主体性」とはいえない

そこで主体性の話に戻ります。よく「主体性が無い」とか「もっと主体性を出せ」というリーダーマネージャーがいますが、言われて出すような「主体性」は「主体性」とは言えません。言ってることが矛盾しています。それを言う前に、主体性が出せる環境づくりをしているかを胸に手を当てて自分に問うべきです。時に「主体性を出せ」というのは、「言われなくても私の思うことをやってくれ」と取られかねない場面に遭遇することがありますが、そうなってしまうともうマネジメントとは言えません。

「X理論」では再現性がある主体性が生まれない

私は「X理論」でメンバーに主体性を持ってもらうのは相当難しいと思います。手段が「命令」や「監督」になってしまうからです。そうなるとメンバーは元々持っている気質か、現場での成功体験からしか「主体性」は生まれません。メンバーの成長が属人的で再現性がなくなり、組織づくりとしては大きな失敗です。どんな人でも主体性を持てるような環境を作る。「Y理論」でしか再現性のある主体性は生まれないのではないでしょうか。

「Y理論」で個の力を発揮する

高度成長期では、決められたことを正確にかつ早くやれば成果が出たため、計画をしっかり立て、「X理論」のアプローチで決められたことをとにやってても良かったかもしれません。今は、答えが見えず、変化も激しく、誰かがトップダウンでコントロールできるような単純な世界ではなくなってしまいました。そこで「一人ひとりが自分で考えて動く」という状況を作り続け、組織的にイノベーションを続けないとブレイクスルーは生まれないのではないでしょうか。

一人ひとりが自分で考えて動くと個の力が発揮されます。そのためには、自発性を発揮できるような環境を作る必要があります。そうなると「Y理論」が必要となる。これは、マネージャーごとのマネジメント観の違いだけでなく、求められるマネジメントが変わってきているのでは無いでしょうか。